変わりゆく街の魅力を再発見 新・小杉散歩

2020.4.16

武蔵小杉駅の今昔

小杉に暮らし、集まる人たちの足を支える武蔵小杉駅。

現在はJR4路線、東急2路線が乗り入れ、接続駅として賑わうこの駅も、最初はこぢんまりとしたものだったようです。
『中原街道と周辺の今昔』にある、1933(昭和8)年撮影の写真を見ると、当時の様子を伺うことができます。

南武線グラウンド前駅(今の武蔵小杉駅)昭和8年。右奥に第一生命のグラウンドとバックネット(昭和4年完成)が見える。手前の白い部分は池。右手は東横線の線路ののり部分。(「中原街道と周辺の今昔」デジタルアーカイブ「南武線と東急東横線の『武蔵小杉駅』」より)

開業は1927(昭和2)年、南武鉄道線の停留場としてでした。現在の駅舎がある場所にあったのは「グラウンド前停留場」という名前の停留場で、「武蔵小杉停留場」は府中街道(国道409号)との交点にあったそうです。

南武線と東急東横線の「武蔵小杉駅」(「中原街道と周辺の今昔」デジタルアーカイブ「南武線と東急東横線の『武蔵小杉駅』」より)

1944(昭和19)年にグラウンド前停留場が武蔵小杉駅に改称。それまで府中街道(国道409号)との交点にあった「武蔵小杉停留場」は廃止になりました。

東横線を高架にし南武線と交差する所に木造で仮の武蔵小杉駅(時々停車のみ)が造られた。左側は南武線へ連絡する階段 1945(昭和20)年6月16日完成。(「中原街道と周辺の今昔」デジタルアーカイブ「南武線と東急東横線」より)

1956(昭和31)年、南武線武蔵小杉駅の武蔵小杉駅。(「中原街道と周辺の今昔」デジタルアーカイブ「南武線と東急東横線の『武蔵小杉駅』」より)

駅はずいぶん様変わりしましたが、駅の周辺はどうでしょうか。
中原街道と周辺の今昔』に、1971(昭和46)年に撮影された写真が残されています。

南武線武蔵小杉駅前。日本医科大方向を望む。(「中原街道と周辺の今昔」デジタルアーカイブ「南武線と東急東横線の『武蔵小杉駅』」より)

上の写真とほぼ同じ場所から望んだ、現在の駅前の様子。

1995(平成7)年に地区初の超高層ビルであるこの武蔵小杉タワープレイス完成をスタートに武蔵小杉は再開発が進んでいます。
その拠点となる武蔵小杉の駅は、2010(平成22)年に横須賀線、湘南新宿ラインのホームが開設され、2013(平成25)年には東急東横線と東京メトロ副都心線、西武池袋線(西武有楽町線経由)、東武東上線との直通運転が開始。そして2019(平成31/令和元)年からは、相鉄・JR直通線の運行が開始されるなど、交通結節点としての役割が大きくなりました。1日平均乗車人数も2019(平成31/令和元)年には約24万4千人と1995(平成7)年の約14万4千人の約1.7倍になっているようです。(出典:川崎市統計書

利用者の増加に伴って、駅でも新しい改札口が開設されたり、横須賀線下りホームの工事が着工されたりと、さらなる開発が進められています。現在の姿もまた変容していくのでしょう。

東急線武蔵小杉駅。

駅の変容とは関係がありませんが、南武線のホーム発車メロディはザ・クロマニヨンズが歌う川崎フロンターレの応援歌「ナンバーワン野郎!」。サッカー好きの聴くたびつい「立ち上がる、立ち上がる」と、口ずさんでしまうのでは?

第二次世界大戦中に軍需工場が密集していたこの辺りは、川崎大空襲で大きな被害を受けたという悲しい歴史があります。そんな悲劇を乗り越えてこんなにも発展したのだから武蔵小杉は本当に「立ち上がる」という言葉が似合う街なんですね。

「中原街道と周辺の今昔」デジタルアーカイブの「南武線と東急東横線の『武蔵小杉駅』」に関する記事は、こちらからご覧いただけます。

南武線と東急東横線の「武蔵小杉駅」

南武線と東急東横線の「武蔵小杉駅」

ページトップへ戻る