「中原街道と武蔵小杉」3 小杉御殿と小杉村

石橋醤油店(原家)

石橋醤油店の店先(昭和44年)

十字路を更に先へ進むと(タマガーデンの先)右側に、昭和50年くらいまで高い煙突があった。「石橋醤油店」という看板の原家がある。
この家は明治3(1870)年から、農業をしながら醤油造りを始めた。大正12(1923)年から専業となり、キッコー「文山」のラベルを貼り、昭和26(1951)年まで製造していた。
昔は街道を利用して天秤棒に桶をさげて、東京方面からも買いに来る人が沢山いた。昭和8(1933)年頃には、トラックを使って運搬するほど盛んだった。
毎年、冬になると新潟から醤油造りの職人が4・5 人来て、大変活気があったという。
東京から「こやし」を運んで帰る農家の人々や、付近の人達も買いに来ていた。
当時、ほとんどの農家でも醤油を自家製で造っていたが、塩からくて美味しくないので「文山」と混ぜて味を良くして美味しくしたり種として使っていた。
平成25 年7 月まで醸造工場の建物があり、明治から昭和にかけての醤油造りの一端を見学出来たが、解体され、駐車場や2階建て住宅(4棟8軒)に変わってしまった。商標「文山」のある蔵はそのま ま保存されている。道具など市民ミュージアムに保管されてる。石橋醤油味噌醸造の原家は、石橋原家の分家で、江戸時代から続く旧家である。
昭和、平成と親子孫と三代にわたり、地域のために尽力され、川崎市議会議員・議長などを歴任。現在は三代目が議員として精力的に活動されている。
先祖の文三郎は、同じ石橋原家の分家の伝蔵と小杉に、石橋銀行を設立している。

昭和8年に建て替えた石橋醤油工場(昭和46年)

道路拡張工事で塀を後退した石橋醤油店(平成20年)


醤油工場入り口と煙突(昭和46年)

商標「キッコー文山」のある蔵(昭和50年)

大きな樽が並んでいる醸造工場内(昭和46年)

昭和18年から使用の醤油ラベル

醤油のラベル

道路拡張で塀が取り除かれた後、道路に面した所に、武蔵中原観光協会と の共同事業で「八百八橋」の一部を移設、復元されている(平成20年)

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