「中原街道と武蔵小杉」3 小杉御殿と小杉村

川崎第1号の風呂屋「鉄鉱泉」(鉄温泉)

鉄鉱泉(鉄温泉)の全景(昭和 46年)

小杉十字路を左に折れ府中街道を川崎方面に100mほど行くと、左側に「鉄鉱泉」という風呂屋があった。正式には鉄温泉「満寿茂登」といった(通称、鉄鉱泉と呼び、看板も鉄鉱泉だった)。
東急バス車庫の斜め前で、低い2階建てで2階は10畳の部屋があり、道路側には手すりが付いていた。
鉄鉱泉は明治39(1906)年に開業の風呂屋で、明治41(1908)年4月、正式の警察許可は川崎で第1号だった。その頃としては、第一級の設備を持ったものだった。丁度その時、府中街道の新道が完成した(現在の府中街道)。
東京の本所に鉱泉の原液を売る店があり(鳥取から原液を仕入れていた)そこから、二斗樽に詰め5・6本ずつ牛馬で運んでいた。月に2・3回、夜の12時頃、原液を取りに本所まで行き、帰りは夕方になった。この原液を少しずつ風呂に入れ湧かしていた。
「健康によい」という評判がたち、埼玉県・東京などからの来客もあった。多い時は80人を超したこともあった。2階や向かいの「藤棚」に宿泊したりして、風呂屋は大繁盛していた。
休憩をする人は藤棚や万年屋、川野軒から料理を取り寄せて、ゆっくりとくつろいでいた。ヘルスセンターのような憩いの場であった。
府中街道を走っていた乗り合馬車も、客があると鉄鉱泉前に臨時停車のサービスをした。
戦後、物資不足の時も営業は続いていた。しかし人々の生活にゆとりが出たり交通が発達すると、設備の良い温泉に行く人や家庭風呂の発達で、利用客は次第に減少していった。
昭和53(1978)年6月26日、ついに廃業した。建物は平成元年までは残っていたが取り壊され、アパートとなってしまった。

地元消防団の会合で使用した記念(昭和6年)

脱衣場(昭和 47年)

浴場の内部(昭和 47年)

鉄温泉の成分表

鉄温泉の看板(昭和40年頃まで、その後『鉄鉱泉』と呼んでいた)

鉄鉱泉の2階への階段(昭和 47年)

2階の大広間の一部分(昭和 47年)

廃業のお知らせ(SS53.6.26で廃業)

鉄鉱泉から小杉十字路方面の家並み(昭和 46年)

小杉十字路より鉄鉱泉方面の家並み(昭和 46年)

東急バスの駐車場(『藤棚』があった場所)現在、マンションになっている(昭和 51年)


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