「中原街道と武蔵小杉」4 泉沢寺・役場と商家が並ぶ神地

庚申搭と大師道

明治26年1月健立の地蔵尊(昭和46年)

中原を歩くと道路の左右に数多くの祠や石碑が目にとまる。特に神地橋を渡ると多い。街道との分かれ道に多く見られ、庚申塔と屋敷の鬼門除けとある。
藤田屋酒店(現在はコインランドリー)の横に地蔵尊が立っている。この横を昔は綺麗な二ヶ領用水が流れていた。井田堀といい、下小田中・井田方面へ流れ田畑をうるおす大事な用水だった。井田の人々がずっと管理していた。
ここに地蔵尊が、どうして立っているのだろうか。
調べてみると言い伝えがいろいろあることが分かった(昭和44年調査・明治14 〜 40年代生れの高齢者からの聞き取りによる)。
・井田堀を川底から綺麗にしていたら、川底に埋まっていたので、井田の人々が守り神として建てた。
・空腹で行き倒れの人がいて、可哀想なので庚申様として奉った。
・子どもがよく落ちたので、水死することがなくなるように願って。
など。
昔は子育て地蔵だったが、終戦後は延命地蔵になった。
人々のさまざまな願いが秘められているこのお地蔵様は、戦災で壊れたため再建された。背には明治26(1893)年1月建立とあり10人の名前がある。判明している名前は「島田鉄蔵・朝山ヤス・朝山源之助・小川伝次郎・小川森之助・小川清次郎・島田○○・以下不明」である。

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