「中原街道と武蔵小杉」1 堤防で姿を消した90軒の集落

北向観音

田中こんにゃく屋の角(新丸子方面への道)に、用水路をはさんで北向観音があった。北を向いた観音像は珍しくて特別の御利益があるといわれ、多くの人々 から大切にされていた。約300 年程前の正徳2(1712)年から堤防の近くにあったと伝えられている。
昭和初期には北向観音の前で縁日が開かれ植木が売られたり、おもちゃ・化粧品・端切れなどを売る店が並んだ。村人をはじめ近隣の人々や通行人などが集ま りとても賑わった。縁日は昭和15(1940)年頃まで続けられたが、戦争でやめてしまい人々の楽しみがなくなってしまった。
車が普及し自動車が通るようになると角地なので、観音堂の屋根がよく壊されて困ったという。
昭和31(1956)年7 月、近くの大楽院に移された。
現在、大楽院入り口の右側にその姿を見ることができる。

北向観音
田中こんにゃく屋の右角にあったが昭和31年7月、大楽院に移転、安置された(昭和47年)

大楽院に安置された北向観音(平成19年)

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