「中原街道と武蔵小杉」3 小杉御殿と小杉村

中原の水・ゴミ・し尿

旧式自動車に肥おけと消毒液を積み、し尿収集を始めた頃のようす(昭和16年)

昭和3年完成の中原町上水道の配水搭

宮内貯水場。大正5年7月から川崎水道の水源地が宮内にあった。昭和 14年3月末まで使用した(昭和8年)

中原町では昔から二ヶ領用水や井戸水を飲料水として使用していた。しかし地下水面が高いため(地質上)浅い井戸が多く、汚水・汚物が流入しやすく不衛生だった。
昭和3(1928)年4月、中原町営上水道が完成し丸子・小杉・神地・木月・下小田中の地域には給水が可能となった。
上水道は幅13m・長さ19.4m・深さ2.6mのコンクリート製のろ過池を持ち、高さ40mのタンクで約1万人分の給水量があった。
総工費20万円で完成し、昭和12(1937)年7月まで、中原水道として独自の給水をしていた。その後、川崎市水道局に統合され廃止されたが、昭和14(1939)年3月31日まで使用していた。廃止後、配水塔は東横電鉄が買収した。

川崎市で初めて使用されたゴミ収集車(昭和 16年)

昭和16(1941)年からゴミや、し尿を集める仕事を川崎市が実施することになった。昭和24(1949)年、中原清掃事務所が設置された。昭和16(1941)年頃は、始めたばかりだったので、旧式自動車に肥おけと消毒液を積み、し尿収集をしていた。
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