武蔵小杉の歴史
「中原街道と武蔵小杉」3 小杉御殿と小杉村
小杉十字路の4つの飲食店
また川野軒の前の角には、明治初期から続く田辺医院(平成18年までは田辺クリニック、現在はマンション)があり、その左側(今の東急バスの車庫)に、料理屋「藤棚」があった。
小杉は昔から中原街道の宿場であったが、宿屋が少ない(1軒)ことが特色の一つであった。しかしこの付近だけで2軒の宿屋があったことがある。
「万年屋」は、昔からそば屋で街道を通る農家の人々がよく利用した。平成10(1998)年に道路拡張工事で取り壊された。
「川野軒」は、洋風メニューのある飲食店で停留所を利用する人が多かった。その後「勇鮨」が営業していたが、道路拡張工事で平成11(1999)年には、営業をやめ建物は取り壊された。
「稲毛屋」は宿屋も兼ねていたが、大正12(1923)年の関東大震災で2階建てのうち、1階部分がつぶれてしまった。
その後、薬局に変わったが、やはり道路の拡張工事で昭和47(1972)年に移転し、早々と姿を消した。
「藤棚」は、宿屋と料理屋を兼ねていたので旅商人が多く利用していたという。
大正13年(1924)年頃には、2階建てにするほどお客があった。戦時中は客が減少し営業不振だった。戦後、東急が買収し、バス車庫になった。平成22年9月東急バス営業所が廃止されたため、車庫もマンションに変わった。