「中原街道と武蔵小杉」4 泉沢寺・役場と商家が並ぶ神地

きざみたばこ屋から肥料屋へ(島田家)

島田肥料店前での中原青年団の仮装行列(中原街道道路上)。手前は畑(昭和5年)

5階建ての日本住宅公団・花菱ビルは、昭和40(1965)年2月に完成した。70世帯である。この場所に明治の末から油かすなど扱った島田肥料店があった。
近くの農家から小麦を買い入れ、それを千葉県の野田まで売りに行き、帰りには醤油のしぼりかす(窒素肥料)を買い入れてきた。醤油のしぼりかすは丸子の渡しの近くに荷揚げしていたので、雨が降ると濡れないようにコモを被せるのに大変だった。
肥料は近くの村々、農家に売っていたので街道沿いの人々がよく買いに来ていた。
島田肥料店は明治時代には、たばこの製造・販売をしていた。原料の葉は秦野から仕入れ、機械で小さく切り「きざみたばこ」にして販売していた。神地の、そば屋・藤田屋・和泉屋・凧屋などに卸していた。
明治の末頃、たばこが専売制度となる時、たばこ製造の権利を持っていたので橘樹郡・都筑郡一帯の元売りさばき所になることができた。しかし、権利金の用意ができず、横浜の川和にある業者に権利を渡した(権利金は8千円ほどだったが、半分ほどしか調達できなかったため放棄したという)。
<< 前へ
目次へ
次へ >>