新小杉開発株式会社

新・小杉散歩

2021.06.28

多摩川台古墳群で歴史散策

丸子橋付近の多摩川土手から対岸を眺めると、こんもりと盛り上がった森が続く一帯があります。浅間神社が建造されている「浅間神社古墳」を南端として、「亀甲山古墳」「多摩川台古墳群」「宝萊山古墳」と、合わせて11もの古墳が連なっているのをご存知でしょうか?
今回はその一帯の、「浅間神社古墳」を除く10基の古墳がある「多摩川台公園」で、歴史に触れる散策をしてきました。

多摩川台公園古墳展示室外観

まずは丸子橋側の入口から近い場所にある「多摩川台公園古墳展示室」へ。こちらの内部は古墳の後円部をイメージしたジオラマになっていて、横穴式石室にあたる部分が主な展示ブースという趣向を凝らした造りになっています。

こちらでは亀甲山古墳、多摩川台古墳群、宝萊山古墳を含む荏原台古墳群の出土品の詳しい情報が展示されているほか、古墳の造り方なども説明されています。

多摩川台公園古墳展示室内観

展示室内部に設置された古墳のジオラマ。写真左側は断面が分かるようになっており、古墳の造り方の説明がある。

多摩川台公園古墳展示室_案内模型

入り口にある展示室の見どころ案内。展示室内のジオラマで表現されているのは古墳のどの部分か、どこでなにが見られるかなどがわかるようになっている。加えて、室内には入りきらない前方後円墳の前方部がイメージで補われているのも嬉しいところ。

古墳展示室_人物模型

入り口右手には埴輪や出土品を元に復元された古代人の姿と埋葬の儀式の説明がある。人形ひとつひとつには、装束や持ち物、職分等が元となった埴輪の写真を使って説明されている。

横穴式石室内展示ブースでは田園調布を中心とした「田園調布古墳群」が、古墳からの出土品(レプリカ)の展示や詳細情報とともに紹介されています。

入って右側は、田園調布古墳群で最古、4世紀前半に建造された宝萊山古墳から始まって、6世紀末〜7世紀前半に建造された西岡第22号古墳までの説明と出土品とが展示されている。

左側は6世紀中頃から7世紀前半までの間に建造された多摩川台古墳群と7世紀前半に建造された浅間様古墳の出土品と説明が展示されている。

多摩川台1号墳から出土した「円筒形埴輪」と東京都指定史跡の指定書。

展示物

宝萊山古墳から出土した槍や勾玉、宝飾品など。仿製四獣鏡(現物は慶應義塾大学民族学考古学研究室が所蔵)は特に詳しい説明がされている。これらは、剣、玉、鏡の「三種の神器」と同様のものとして、この古墳が初期大和政権と強い関係にあったと考えられている。昭和9年(1934年)の宅地造成工事で、埋葬施設と副葬品が発見されたことによってここが古墳であることがわかったという。

出土品

7世紀前半に建造された多摩川台古墳群第9号墳(新第8号墳)から出土した土器や武具、丸玉など。4世紀前半の宝萊山古墳から出土されたものと見比べると精巧さの違いに驚く。もちろん館内にはここに至るまで、各時代の出土品が展示されているので、技術革新の様子をうかがうことができる。

展示パネル

多摩川台古墳群模型と情報。館内は写真撮影可能なので(印刷物等への掲載は要許可)スマホなどで撮影しておき、後に実物を見たときに対比させると古墳の規模の差が実感できる。

木棺

室内中央には、古墳に収められる木棺を復元したものが展示されている。棺の中には美しく盛装した先代の首長と共に武器や装身具、首長のシンボルである鏡などが副葬品として納められている。

古墳のレプリカから出たところには、荏原台古墳群の成立ちや分布マップ、『日本書紀』にある「武蔵国造の乱」の説明や各地の古墳の立体模型などが展示されています。

荏原古墳群分布

荏原台古墳群分布マップ。ボタンを押すと該当箇所が光る。

また、こちらでは古墳の資料や公園のパンフレットが配布されています。多摩川台公園は古墳なだけありアップダウンも多く広大ですので、これらの案内は散策に役立ちます。

古墳に興味がわいたら『大田区古墳ガイドブック』がおすすめです。大田区のことだけでなく、日本の古墳の歴史や時代背景等の概要なども写真や図版を使って説明されてあり、より一層古墳を楽しめるものになっています。

古墳資料室パンフレット

古墳展示室で無料配布されているパンフレット。多摩川台古墳群のパンフレットには英語版もある。

大田区古墳ガイドブック

『大田区古墳ガイドブック』大田区立郷土博物館編集、大田区都市基盤整備部地域基盤整備第一課調布地域基盤整備事務所(※現在は組織改正により地域基盤整備第三課)発行、1992年。200円(税込)

ひとつひとつ古墳時代の考古資料に触れるうち、今、自分が立つこの場所で起きた史実であるという実感が強まります。公園の小山のように思われていた古墳群が、ぐっとミステリアスな魅力に包まれたものに感じられてきました。

展示室を出たら、まずは亀甲山古墳から古墳探索です。
古墳群エリアは樹木が多いので木陰で涼しく風も爽やか。これからの季節の散歩に最適コースでもあります。

亀甲山古墳

亀甲山古墳は宝萊山古墳と小さな谷を隔てて向き合う大形前方後円墳。実測以外の調査はまだされておらず、詳細はわかっていない。

多摩川台公園1号墳

多摩川台古墳群の中では一番大きい1号墳。6世紀中頃に造られた前方後円墳だが、その後、7世紀前半に後円部分が改造され、新たに円墳とされた。このような例はとても珍しいことらしい。

多摩川台公園2号墳

1号墳の前方部にあたる2号墳。多摩川台古墳群の各古墳には号数を示したプレートが設置されている。

多摩川台公園虹橋

虹橋。8号墳と宝萊山古墳はこの橋の先にある。

さきほど展示室で古墳をリアルに感じられるものに触れたからでしょうか、風に揺れる木々の葉ずれの音の中に古墳を作る古代人のざわめきが聞こえたような錯覚に陥ります。
思えば、一番古いものが4世紀前半に築造されたと考えられる宝萊山古墳で、一番新しいのが多摩川台古墳群第8号墳で7世紀中頃というのですから、実に300年以上にも渡ってこの地域に古墳が建造されたことになります。つまり「古墳時代」と呼ばれる時期ほぼ全期間の古墳があるということになります。
ちなみに、各古墳の建造時期は以下の通り。どこかの時代に固まることなく、一つずつ増えていったようです。

宝萊山古墳 4世紀前半
亀甲山古墳 4世紀後半
多摩川台1+2号墳 6世紀第3四半期後半
多摩川台3号墳 6世紀末~7世紀初
多摩川台4号墳 7世紀第1四半期
多摩川台5号墳 6世紀末~7世紀初
多摩川台6号墳 7世紀第1四半期
多摩川台7号墳 7世紀第2四半期
多摩川台8号墳 7世紀中頃

多摩川台公園遊具広場

一番新しい8号墳の付近は遊具広場になっている。ここは多摩川台古墳群発掘時には9号墳とされていたが、当時8号墳とされていたものが後に古墳ではないことがわかったので、現在はここが8号墳とされている。

宝萊山古墳

この一帯の古墳の中では一番古いとされている宝萊山古墳。

宝萊山古墳説明板

宝萊山古墳説明板。

多摩川台公園内の古墳はここで終点。

多摩川台公園は、古墳群の他にも水生植物園や、調布浄水場跡地ろ過池のレンガ囲いを使った四季の植物園など、見どころがたくさんあります。色を通じて花々を楽しむことができ、春の桜、秋の紅葉も人気ですが、特にあじさい園は圧巻。高低差のある場所に作られていますので、見渡す限り紫陽花!という光景が楽しめます。この時期は水生植物園の水蓮も見事です。

多摩川台公園あじさい

「あじさい園」は広い敷地にとにかくたくさんの紫陽花が一面に咲いていて「圧巻」の一言に尽きる。あじさい

あじさい

あじさい

多摩川台公園水生植物園

美しい水蓮は10月くらいまで楽しむことができるとのこと。

多摩川台公園の桜

春には園内の桜を目当てに多くの花見客が訪れる。(写真は2021年3月撮影)

雑木林のみち看板

大田区内に5つある自然観察路のうちのひとつ「雑木林のみち」を示す看板。多摩川台公園の木々はもともとの自然林ではなく雑木林。自然に人間が手を加えて自然を守る、それもまた歴史を守ることなのかもしれない。

また、高台から望む多摩川や富士山の光景も美しく、陽の落ちる時刻はまた格別なのだそうです。そういえば、多摩川浅間神社の由緒によれば源頼朝の妻政子はこの地から霊峰富士に手を合わせ、夫の無事を祈ったとのこと。

多摩川台公園からみる多摩川

この日は残念ながら雲がかかっていたが、晴れた日にはこの先に富士山が見える。

丸子橋を渡ったすぐ先で体験できる、17世紀にもおよぶ歴史と自然に触れる散策。梅雨の合間にぜひ、訪れてみてはいかがでしょうか。

大田区立多摩川台公園 古墳展示室
東京都大田区田園調布1-63-1

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