新小杉開発株式会社

新・小杉散歩

2017.08.31

油屋の庚申塔と昭和の風習

中原街道の小杉十字路から西明寺の信号方向までの区間は、大正時代から昭和初期にかけて大変賑わっていました。
現在では、賑わいの要は武蔵小杉駅周辺に移っていますが、交通量はいまもなお多く、決して広いとは言えない道幅に、車やバイク、自転車がひっきりなしに行き交う、小杉エリアの主要道路です。 その小杉十字路と西明寺を結ぶ中原街道の半ばに、「油屋の庚申塔」と呼ばれる、小さな石塔が建てられています。

1843(天保14)年に建てられたとされるこの庚申塔は、1940(昭和15)年に、地元の人々の有志で建て変えられたもの。手が6本ある青面金剛(しょうめんこんごう)の仏像で、恐ろしい形相で邪鬼を踏みつけ、その下には、一般的な庚申塔と同じく、三猿(見ざる、言わざる、聞かざる)の姿が見えます。

昔の人々は「人の身体に三尺(さんし)という小さな虫がいて、60日毎に回ってくる庚申の日に、天の神へ悪口を言いに行く」という言い伝えを信じ、その日が来ると眠らないでお祭りをし、虫が天に行くのを防いだという。

今ではあまり聞かない話ですが、この庚申塔の謂れについて、「中原街道と周辺の今昔」では、このように書かれています。

昔の人々は「人の身体に三尺(さんし)という小さな虫がいて、60日毎に回ってくる庚申の日に、天の神へ悪口を言いに行く」という言い伝えを信じ、その日が来ると眠らないでお祭りをし、虫が天に行くのを防いだという。

「中原街道と周辺の今昔」デジタルアーカイブ「庚申塔と大師道」より

そして、この油屋の庚申塔がある小杉御殿町では、2、30年前頃まで、庚申の日(60日に一度)に講中の6軒ほどがそれぞれの家に集まり、夕食会をする習慣があったそうです。

「小杉のかたりべ」小林美年子氏「昭和の小杉の人々と暮らし」より

青面金剛像の掛け軸をかけ、お供えをして線香をたて、そこでお酒やご馳走をいただくこの集会は、娯楽のない時代の楽しみのひとつでもあったと言われています。

昭和52年の夕食会の様子。(「中原街道と周辺の今昔」デジタルアーカイブ「庚申塔と大師道」より)

庚申の日、夕食会にかけられた掛け軸。(「中原街道と周辺の今昔」デジタルアーカイブ「庚申塔と大師道」より)

このような風習は各地であったものの、昭和後期になると神奈川県内でも数か所でしか行われていなかったそうです。
歴史ある小杉御殿町という土地柄だからこそ、続いた風習なのかもしれませんね。
油屋の庚申塔については、下記もぜひご覧ください。

「中原街道と周辺の今昔」デジタルアーカイブ「庚申塔と大師道」

「小杉のかたりべ」小林美年子氏「昭和の小杉の人々と暮らし」

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