「中原街道と武蔵小杉」1 堤防で姿を消した90軒の集落

玉つき屋(卓球場)

柏屋(そば屋)の隣りに軒先が波形模様のある洋風の家があった。
大正13(1924)年に建てられ、昭和15(1940)年頃までビリヤードをやっていた。若い女性従業員から玉つきを教えてもらえるので、近隣の若者たちで夜まで賑わっていた。
昭和10(1935)年に丸子橋が開通すると、東京からもお客が訪れた。
東横線開通後は日吉の慶応の学生、小杉の法政予科の学生、日本医科大の学生が、よく遊びに来ていた。
その後、卓球場となり昭和50(1975)年頃まで営業していた。

玉つき屋(卓球場の三浦家)(昭和44年)

玉つき屋から多摩川土手方面。左側の7・8階建てビルは、かつての読売多摩川寮の跡地に立つマンション(平成20年)

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