「中原街道と武蔵小杉」4 泉沢寺・役場と商家が並ぶ神地

食料品問屋の「島甚」(島田家)

食料品などの問屋をしている「島甚」(島田家)は、明治38(1905)年頃から島田甚平がここに住むようになり海産物の商売を始めた。仕入れには東京・日本橋の問屋まで、午前2時頃、起きて、暗やみの中を提灯を持ち荷車を引いて出かけた。
明治44(1911)年から砂糖・塩・油などの問屋を始めた。
大正末期から溝口をはじめ、近所のほとんどのお菓子屋に小麦粉・あずき・砂糖などを卸していた。現在では即席食料品も扱っている。 昭和8年頃には野川や大棚方面まで夜通し運んできた荷物をすぐそろえて、配達にまわった。2・3人が荷車に積んで運んだが、それが馬車になりリヤカーになり、昭和15年にはオート三輪車で運ぶようになった。更にトラックへと荷物運びが便利になった。運び方も時代とともに変わってきている。
現在は島田商事となり、7階建てのマンションを建てている。
屋敷の角地(北東)に、明治24(1891)年建立の庚甲塔の洞がある。

右端は島甚(島田家)正面の車のある場所あたりに馬力引きの「たまや」(原家)があった(平成20年)

正面は島甚(島田家:食料品問屋)左側に「たまや」(馬力引き)があった(昭和46年)


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