新小杉開発株式会社

新・小杉散歩

2021.10.28

給水開始100年ー近代川崎を切り拓いた水道ー

現在、高津区の川崎市大山街道ふるさと館では、川崎市市民ミュージアム主催「給水開始100年ー近代川崎を切り拓いた水道ー」を開催しています。
川崎市水道100周年を記念して催された本展は、二ヶ領用水や井戸水を生活用水として利用していた江戸時代から、市の拡張が進む昭和初期を中心に、約50点の資料を展示し、川崎における水道の歴史を振り返るものとなっています。

大山街道ふるさと館

展示室に入る前のスロープでは、関連イベントとして募集した「うれしい蛇口コンテスト」の応募作品が並んでいます。
企画展に先行して作品を募ったところ、481点もの応募があったそうです。
川崎市上下水道局賞を受賞した作品は、立体物として再現され、展示されていました。

うれしい蛇口コンテスト

自宅や学校、職場にあったらうれしい、楽しいと思える蛇口デザインを募集したコンテスト。市内の子どもたちからの応募が中心で、夢のある作品が集まっている。

うれしい蛇口コンテスト

川崎市上下水道局賞の受賞に輝いたのは、横須賀依吹さんの考案した「あみだ蛇口」。どこから水が出てくるのかわからないという、ユニークな作品です。

企画展は、「水道が敷かれる前の水利用」「近代水道をつくる」「高津地域の水利用」という3部で構成されています。
その中央、目をひく場所に展示されていたのが、今年3月に川崎区八丁畷の水道工事現場にて発見されたという、敷設当時の水道管です。
敷設が始まった「大正八年」の文字と、川崎市章の刻印があります。当時はまだ川崎町でしたが、当時の紋章がいまの市章に受け継がれています。給水開始100年というタイミングでの思わぬ発掘に、関係者の皆さんはとても感激したそうです。

大正8年の水道管

京急本線八丁畷駅付近の水道工事中に見つかった鉄製の水道管。水道の創設工事の時期を示す貴重な資料となった。

「水道が敷かれる以前の水利用」では、徳川家康が旗本・小泉次大夫に人工水路の普請を命じた「二ヶ領用水」と、その水の利用に関連した資料が展示されています。現在、高津区久地に設置されている分水樋「久地円筒分水」の以前に使われていた江戸中期の分量樋模型なども展示されていました。

稲毛川崎二ヶ領用水絵図

天保9(1938)年に描かれた「稲毛川崎二ヶ領用水絵図」の写真パネル。青く描かれた部分はすべて川と用水。

二ヶ領用水分量樋

江戸中期、久地に設置された二ヶ領用水分量樋の模型。用水が流れる先の村で必要な量を調べ、村の数に合わせて用水の幅を調整していたと書かれている。

「近代水道をつくる」では、明治45(1912)年当時の町長で、のちに初代川崎市長を務める石井泰助の川崎水道への功績と、市の拡張と水道整備の関係性を解説しています。

川崎町水道一覧図

大正10(1921)年の「川崎町水道一覧図」。

明治45(1912)年、川崎町長石井泰助は、工場誘致を町のスローガンに掲げました。工場はたくさんの水を必要とするため、水道整備の事業が発展していきます。

川崎町は、多摩川に水源をもとめ、大正10(1921)年7月に、川崎初の浄水場として戸手浄水場を設立し、川崎町への給水を始めます。しかし、中原町は市域が異なるため、中原の住民はこの水道を利用することができませんでした。これが市域の拡張が進められた大きなきっかけとなったといわれています。

中原町上下水道小誌

昭和4(1929)年「中原町上下水道小誌」。中原町水道の完成にあたり、町の水道局が刊行した。

木管

大正8(1919)年頃の敷設当初、鉄製水道管と同時に利用されていたという木製水道管。

川崎町水道通水記念杯

大正10(1921)年、給水を開始した記念に作られたという杯。川崎の給水は全国の市町村順で数えて40番目と、比較的早い時期に竣工していた。

普段、私たちが何気なく使っている水道ですが、100年前までは各家庭で汲んでろ過したり、ろ過されている水を買って使う暮らしが当たり前とされてきました。安全に水道を利用できる現在の生活に至るまでには、多くの人々の尽力があったことがわかります。
また、改めて水道の歩みを振り返ることで、川崎の発展の歴史にもふれることができました。

開催は11月28日まで。散歩がてら、ぜひ足を運んでみてはいかがでしょうか。

給水開始100年ー近代川崎を切り拓いた水道ー
会場:川崎市大山街道ふるさと館 展示室
期間:開催中~11月28日(日)
開場時間:10:00~17:00
観覧料:無料
主催:川崎市市民ミュージアム
共催:川崎市上下水道局、川崎市大山街道ふるさと館

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