武蔵小杉の今とこれから
新・小杉散歩
2022.01.29
時代とともに変わりゆく多摩川河川敷
現在、丸子橋の大田区側、また中原区側の東横線鉄橋付近にて、多摩川の築堤工事が進んでいます。
なかでも、中原区側の上丸子天神町で行われている築堤工事は、昭和11年に創設された日本初の常設サーキット・多摩川スピードウェイの遺構を取り壊さなければいけないことから、マスコミなどでも取り上げられ、注目を集めていました。
多摩川スピードウェイの唯一の遺構として残された観客席は、多摩川スピードウェイの跡地保存のための有志団体「多摩川スピードウェイの会」をはじめとして保存を望む声も多く、
一度はすべて取り壊すことで進んでいたものの、このたび一部を移設することが決定したようです。
多摩川スピードウェイの会については、こちらの記事で以前取材させていただきました。
多摩川スピードウェイの創設よりさらに昔、大正9年までは、このあたりは青木根地区と呼ばれ、30軒ほどの家々が並ぶ小さな集落がありました。
東横線鉄橋下には神社があり、農家のほか、多摩川で砂利採りする人や船大工、舟釘を作る鍛冶屋など、川に縁のある職業の人々が暮らしていたといわれています。
しかし、当時計画されていた堤防工事により、慣れ親しんだ土地と離れ、現在の堤防外にある丸子天神町に移転したという歴史があります。
長い歴史のなか、それぞれの時代で水害と向き合い、変貌していく多摩川河川敷の姿。自然とともに暮らす街ならではの進化ともいえます。工事の完了は3月末。新しい景観が楽しみですね。
「中原街道と武蔵小杉」のこちらの記事もぜひご覧ください。
時代とともに変化してきた河原
青木根の集落