新小杉開発株式会社

新・小杉散歩

2022.05.20

昭和の労働者を支えた センターロード小杉

センターロード小杉

東横線武蔵小杉駅の前、コアパークの向かいに広がる駅前通り商店街の一角に掲げられたアーチ看板「センターロード小杉」。
武蔵小杉で働き、暮らす人々にはおなじみの飲食店街ですが、その歴史についてはあまり知られていないかもしれません。

センターロード小杉の正式な団体名は「仲通り会」。もともと、仲の良いメンバーによって結成された会で「仲良し会」とも呼ばれていたそうです。発足はいまから60年程前の1960年代といわれています。

武蔵小杉駅前通り商店街振興組合

今回お話を伺った武蔵小杉駅前通り商店街振興組合の方々。奥左から元・洋酒コンパブラジル店主の金沢斗弘さん、副理事長で千里ビルの大嶽良彦さん、手前左から尾村ビルオーナーの尾村重之さん、お好み焼き忍店主の城所武雄さん、理事長でメガネのオーサカ創業者・大坂邦治さん。和気あいあいとした雰囲気で、昔の写真を見ながら話が弾み、たくさんお話を伺ったその一部をご紹介します。

元は戦後の闇市の名残があったこの一帯に飲食店が増えたのは、武蔵小杉周辺が工業地帯だったことに深い関わりがあります。
この頃、不二サッシ、NEC、東京機械製作所などの大きな工場や、無数にあった町工場に勤める労働者で、街に人口が増え、仕事帰りにお酒を楽しむ場として、駅前のこのエリアが徐々に栄えていきました。

昭和35(1960)年のセンターロード周辺地図。(武蔵小杉駅前通り商店街振興組合所有)

当時は女性が居酒屋でお酒を飲むことはほとんどなかったため、客層は男性のみ。昭和40年代には周辺を含めてキャバレーも3、4軒あったが、あまりの人気で行列ができ、1時間の入れ替え制だったそう。
最盛期には、仲通り会の加盟店だけでも32軒。その9割が飲食店で、そのほかに古本屋や不動産屋、たばこ屋に、連れ込みの旅館などもあったとか。仲通り会の皆さんのお話を聞いていると、仕事を終えた労働者たちで賑わう夕刻の路地裏の風景が目に浮かぶようです。

現在、北門、西門、東門にあるアーチ看板が初めてできたのは、1980年代前半。当時は加盟店舗の協賛で、それぞれの店名を掲げた提灯が付いていたとか。その後、平成19年に看板を作り替える際、親しみやすい愛称を加えようと「センターロード 小杉」の名が誕生します。平成30年まで活躍していた黄色い看板は、記憶にある方も多いのではないでしょうか。

平成19(2007)年、「センターロード小杉」と名付けた当時の看板のデザイン案。当時も現在も、「仲通り会」の名は残している。(蔵小杉駅前通り商店街振興組合所有)

平成30(2018)年に新しくした現在の看板。

再開発に伴い、武蔵小杉は働きに来る町から住宅地へと変貌しました。
人々の賑わいも、労働者からファミリーへ変化し、かつては平日の夜に賑わっていた町が、しだいに土日も混雑する街になってきています。
仲通り会は2021年に単独の会としては解散し、現在は武蔵小杉駅前通り商店街と統合しています。
センターロードの一角は、解散当時でも26店ものお店が加盟し、1968年創業の弁慶、くろちゃんなどの老舗から、新規開店の店舗も活躍し、いまなお賑わいを見せています。

センターロード食べ飲み歩きの一部をご紹介。やきとり焼辰の名物、大山鶏の鶏三昧と、マグロのブツ。

焼辰の隣、2021年にオープンした「炭火串焼きと旬野菜 きわみ」。野菜のグリルのほか、おかわり自由のもつ煮込みも人気。

大衆居酒屋感のある大型店、割烹こすぎのにらとんとホルモン炒め、焼鳥。

仕事仲間と、家族や友達と、おひとりで…あなたのお気に入りのお店をぜひ開拓してみてください。

取材協力:協同組合 武蔵小杉商店街(武蔵小杉便利帳)

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