新小杉開発株式会社

新・小杉散歩

2025.05.12

かつて存在した「幻の駅」─工業都市駅とグラウンド前駅

武蔵小杉には、かつて短い期間だけ存在した2つの駅がありました。その名も「工業都市駅」と「グラウンド前駅」。工業都市駅は東急東横線に、グラウンド前駅は南武鉄道(現在のJR南武線)に設置され、戦前から戦後にかけて、地域の産業や軍需に貢献した歴史があります。本記事では、地元住民の記憶から次第に薄れつつあるこれらの駅について、その設置と廃止の背景、場所などを解説します。

工場群に囲まれた通勤駅「工業都市駅」

東急東横線の「工業都市駅」は、1939年(昭和14年)12月11日に開業しました。当時の武蔵小杉周辺は、大手電機メーカーや関連工場が集まる「工業都市」として成長中で、数多くの従業員がこの地域に通い、大変栄えていたといわれています。しかし、当時の東横線にはまだ「武蔵小杉駅」が存在せず、通勤の便を確保するために府中街道と東横線の交差付近に新駅が設けられたのがこの駅でした。駅名からもわかるように、地域の性格を如実に反映したネーミングでした。

1942年(昭和17年の)東急東横線沿線案内図《「中原街道と武蔵小杉」東急東横線の「工業都市」駅より》

戦後の鉄道再編の中で、東横線に仮設の「武蔵小杉駅」が1945年(昭和20年)に新設されると、駅間距離が近すぎるという理由から、工業都市駅は1953年(昭和28年)に廃止され、仮設の武蔵小杉駅と合併します。わずか14年の歴史でしたが、当時の小杉エリアにとって欠かせない駅だったことは間違いありません。

1950年(昭和25年)の工業都市駅。東急電鉄提供《「中原街道と武蔵小杉」東急東横線の「工業都市」駅より》

広大な敷地があった「グラウンド前駅」

南武線グラウンド前駅。現在のJR武蔵小杉駅。線路の向こうに見えるのが、グラウンドのバックネット。《「中原街道と武蔵小杉」南武線武蔵小杉駅(北口)駅の建物とバスターミナルより》

南武線グラウンド前駅。現在のJR武蔵小杉駅。線路の向こうに見えるのが、グラウンドのバックネット。《「中原街道と武蔵小杉」南武線武蔵小杉駅(北口)駅の建物とバスターミナルより》

もうひとつの幻の駅が「グラウンド前駅」です。1927年(昭和2年)に、小さな停留所として、現在のJR南武線武蔵小杉駅の地に誕生。当時この一帯には3万平方メートルものグラウンドがあり、草競馬が行われていたといわれています。1929年(昭和4年)に、第一生命が買収し、野球場、トラックフィールド、6面のテニスコート、大弓場などがあったそうです。しかし、住民は駅に行くまで細い道を通らねばならず、地元有志による土地の寄付により、現在の中原区役所近くに、旧武蔵小杉駅を開設。1944年(昭和19年)に、両駅が合併し、グラウンド前駅の場所に現在の武蔵小杉駅ができました。

名前がなくなった工業都市駅とグラウンド前駅は、どちらも時代の要請によって生まれ、武蔵小杉という街が“工業の町”から“住みたい街”へと変貌を遂げる過程で、大きな役割を果たしました。
現在の武蔵小杉駅

現在、両駅の跡地周辺には高層マンションや商業施設が立ち並び、とても賑わいをみせています。往時の風景はありませんが、過去の駅の存在を知ることで、街の記憶を掘り起こしてみると、今の暮らしへの理解がより深まるかもしれませんね。

武蔵小杉駅の歴史については、こちらの記事でご覧いただけます。

<中原街道と武蔵小杉>

 

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