新小杉開発株式会社

新・小杉散歩

2026.03.30

「八百八橋」の記憶をめぐる街歩き

JR武蔵小杉駅前に立つ一基の石碑をご存じでしょうか。JR武蔵小杉駅北口、歩道橋脇の一角にある「八百八橋の碑」です。日々多くの人が行き交う駅前にありながら、その存在に気づく機会は多くないかもしれません。

この碑が建てられたのは昭和39年。武蔵中原観光協会と丸子多摩川観光協会によって建立され、かつてこの地域が「橋の多い土地」であったことを今に伝えています。
江戸時代から近代にかけて、この一帯には二ヶ領用水とその支流、細かな水路が網の目のように広がっていました。道を進めば水路に行き当たり、そのたびに橋を渡る、そんな風景が日常だったといいます。

この地域に数多く架けられた石橋の総称が、「八百八橋」です。
明和9年(1772年)から寛政3年(1791年)頃にかけて、上丸子村の干鰯商・野村文左衛門が私財を投じて整備したと伝えられています。

「八百八」という数字は、橋の正確な数ではなく、「非常に多い」ことを表す言い回しです。とはいえ、駅前の碑文には「千個の石橋をかけることを思い立ち寛政三年この世を去るまでに八百八基つくった」とあり、その規模の大きさと地域への影響の深さがうかがえます。

当時の中原街道周辺は、水田を潤す水路が張り巡らされた土地でした。木橋や土橋は洪水のたびに流されやすく、生活や物流に大きな支障をきたしていたといわれています。野村文左衛門による石橋の整備は、単なる利便性向上にとどまらず、周辺地域の農業や流通を支える重要な基盤整備だったといえます。

この偉業をたたえるため、JR武蔵小杉駅前に当時の橋を復元し、石碑が建てられたのが昭和39年(1964年)。そして現在は駅前開発により歩道橋のたもとに移転し、その前に石橋が埋められています。

歩道橋下にある石碑と、歩道に埋め込まれた石橋。駅前改良工事前には、石橋の再現展示も行われていました。当時の建立趣意を含む除幕式における、川崎郷土研究会長・小林英男氏の祝辞は、「中原街道と武蔵小杉」<資料>「八百八橋碑除幕式によせて」で、読むことができます。

現在では、駅前だけでなく中原区内の寺社の境内や公共施設で、その石橋が保管・展示されるようになりました。
かつて生活の基盤を支えた土木遺構は、街の変化のなかでも大切に受け継がれています。

なかでも中原区役所では、八百八橋の石板とともに、近隣の遺構を設置している場所の案内地図が設置されています。

中原区役所の八百八橋遺構展示。

八百八橋遺構場所の案内図。

案内図には、中原区内10か所の遺構設置場所が記載されています。
①中原区役所
②神明神社
③お蔵稲荷
④石橋醤油店
⑤JR武蔵小杉北口広場
⑥大楽院
⑦日枝神社
⑧神明大神
⑨八幡大神
⑩新城小学校

このうちのいくつかを紹介します。

神地神明神社
上小田中にある神地神明神社では、「伝・八百八橋の橋板」として、18枚の石板を設置。長年にわたって神社東側の塀の外にあったもので、2018年11月に、神社社殿とともに川崎市地域文化財・有形文化財(建造物)に指定されました。

18枚の石板が設置された境内。二ヶ領用水の支流をイメージした庭園として整備された。

お蔵稲荷
小杉御殿町1丁目のお蔵稲荷は、江戸時代にこの地に置かれた将軍の休泊施設「小杉御殿」の跡地周辺に鎮座する神社です。中原街道沿いに設けられた小杉御殿は、将軍の宿泊や休憩の場として利用されていました。神社はその旧御殿域に位置し、地域に残る御殿の歴史を今に伝える存在です。こちらの社殿の石段に、八百八橋の石板が利用されています。

小さな石段に使われているのが八百八橋の石材だといいます。境内には二代将軍秀忠公小杉御殿跡の碑も。

石橋醤油店
中原街道沿いの小杉陣屋町、石橋醤油店に隣接した駐車場にも、八百八橋の石板が移設されています。
この駐車場は2013年まで石橋醤油店の醸造工場の建物があった場所です。石橋醤油店は、明治3年(1870年)頃から昭和26年(1951年)まで、この地で醤油を醸造。大正期には専業化して「キッコー文山」の名で親しまれました。街道を通じて多くの人が訪れ、最盛期にはトラック輸送も行われるなど、地域の流通と生活を支える存在でした。現在は川崎歴史ガイドの看板が立てられ、その隣に八百八橋移設の碑と石板が置かれています。

石橋醤油店醸造所跡の八百八橋遺構。 

大楽院
上丸子八幡町の大楽院です。大楽院は、奈良・長谷寺を本山とする真言宗豊山派の寺院で、かつては山王社(現・日枝神社)の神宮寺でした。こちらの境内にある石橋には「此橋小杉村橋御座候江共此一枚上丸子村野村文左衛門寄進仕候安永二歳己九月吉日」と刻まれていて、とても貴重なものとされています。

本堂右側に設置された石板。ベンチとして利用できる。

日枝神社(丸子山王日枝神社)
丸子日枝神社は、この地域の鎮守として古くから信仰されてきた神社で、かつては大楽院が神宮寺を務めていました。江戸時代には周辺の村々の氏神として、人々の暮らしと深く結びついていました。

石板には「安永二年九月吉日 施主 野村文左衛門」と書かれています。

八幡大神
上平間のガス橋通り沿いにある八幡大神にも遺構があります。る八幡大神は、地域の鎮守として古くから信仰を集めてきた神社。創建年代の詳細は明らかではないものの、多摩川流域の開発とともに、この地の人々の暮らしを見守ってきたと伝えられています。ここでは八百八橋の遺構は境内の端にひっそりと置かれていました。

八幡大神の八百八橋遺構。

このように、いまは駅前の一角や寺社の境内に静かに残る八百八橋の遺構。その一つひとつは、かつて水路の多い土地で人々の暮らしを支えた地域の記憶そのものです。武蔵小杉の現在の街並みのなかで、こうした小さな痕跡に目を向けてみると、見慣れた風景の奥に、土地の歴史が感じられるかもしれません。

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