新小杉開発株式会社

新・小杉散歩

2021.03.13

丸子橋から多摩川浅間神社へ

運動不足になりがちな昨今。今回はそんな運動不足を解消すべく、丸子橋を渡って「多摩川浅間神社」にお参り。

ほのかに霞のかかる春の空を眺めながら、多摩川土手から丸子橋へ。この丸子橋は、地元の方々が1884(明治17)年から50年もの間にわたって政府に出願を続け、1934(昭和9)年にようやくその願いが実を結んだもの。この土地に暮らす人々の心願成就のシンボルともいえるのかもしれません。

上丸子天神町歩道橋付近の多摩川土手から丸子橋、多摩川浅間神社を望む。

丸子橋を渡って左に折れてすぐ、国の史跡に指定されている亀甲山古墳などがある、多摩川台公園の丸子橋寄りに多摩川浅間神社はあります。 家庭円満・安産・子安の神様とあって、休日には多くの人々で賑わう境内も、平日は静かなもの。
通常でしたら入り口にある大祓詞石車を一周させて身を清めてから鳥居をくぐるのですが、現在、大祓詞石車は新型コロナ感染防止対策のため、カバーで覆われていました。

多摩川浅間神社入口。中央にある黒いカバーで覆われたものが、一周回すことで、祓の大祓詞を奏上したことになるという「大祓詞石車」。

こちらの神社が創建されたのは今から約八百年前の鎌倉時代のこと。時の右大将源頼朝の妻政子が、縁あってこの地に逗留した際に、「亀甲山(古墳)」から自分の守り本尊である富士浅間神社へ手を合わせて夫の武運長久を祈り、そのときに身につけていた「正観世音像」をこの丘に建てたことが多摩川浅間神社の由緒だそうです。

急こう配の階段を上がって、二つの鳥居をくぐり、ごつごつとした岩が配された参道を登ります。この参道の岩は富士山だとのこと。その溶岩を使うことによって浅間信仰の神体山である富士山の登山を模しているそうです。 参道の途中には、浅間信仰の団体、富士講中興の祖である食行身禄の石碑があります。 そこに彫られているのは勝海舟の直筆文字。幕末の快男児にふさわしい豪胆な筆跡を眺めていると力が湧きます。 参道にはその他にも「白糸の滝」や富士講の「小御岳石尊」などが建てられていました。

勝海舟の直筆文字が彫られた食行身録之碑。食行身録は富士信仰の開講として知られる。

富士の溶岩から白糸のように出る水として建立された「白糸の滝」

浅間信仰の団体「富士講」の石碑。

多摩川浅間神社のご祭神は、山緑を守る神・大山祇神の姫君で「桜の花が咲き匂うような…」と言われる木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)です。 三つある社紋の真ん中が「桜」なのも、このご祭神にちなんでのこと。
この命には、ご懐妊の際に貞節を疑われたことから証を立てるため、隙間をすべて壁土で塞いだ無戸室に入り、産気づいたところで室に火を放ち、炎の中で無事に3人の皇子を出産したという、なんとも気丈なエピソードがあります。
そのことから、木花咲耶姫命は家庭円満・安産・子安の神とされ、火難消除・安産・航海・漁業・農業・機織等の守護神として崇敬されているのだそうです。だから多くの方がこちらで安産祈願をされるんですね。

また、明治40年の「一村に一神社」という合祀のための政令により、浅間、赤城、熊野の三つの神社が合祀したということから、境内には山岳信仰の三峯神社・小御嶽神社・阿夫利神社と食物・農耕の信仰の稲荷神社をお祀りしている末社もあります。

境内各所に建てられている案内板。上に3つ並んでいる社紋は、左から、赤城神社の「左三つ巴」、浅間神社の「桜」、熊野神社の「八咫の烏(やたのからす)」。

手水舎で手と口を清めたら、まずは都内で唯一という「浅間造」の本殿にお参り。木花咲耶姫命の鎮まる霊峰富士に、「六根清浄」を唱えながら登拝し、その山容に似た雄大なご神徳を仰ぎます。そして末社へもお参りしました。

社殿の上に社殿がのり、二階建てになっている「浅間造」の本殿。現在の社殿は昭和48(1973)年に完成したもの。

末社には、山岳信仰の三峯神社・小御嶽神社・阿夫利神社と食物・農耕の信仰の稲荷神社が祀られている。

神楽殿。例大祭は毎年6月(第1土曜・日曜)に斎行される。

神社の案内は英語版も配布されていた。

お参りを済ませた後には、社務所の屋上である見晴台でひと休憩。ここから眺める丸子橋は格別です。

その後はのんびりと、境内のあちらこちらにあるパワースポットを巡りました。

仲良く寄り添う「夫婦銀杏」にはたくさんのおみくじが結ばれていた。

境内にはたくさんの安産祈願の絵馬が奉納されている。安産祈願の言葉に思わず顔がほころぶのは、子安が全生物共通の願いだからであろう。

やさしく撫でると子宝に恵まれるという「子産石」。この石は清らかな海の岩で、長い年月を経て自然に生まれたものだとのこと。

水晶玉の台座を廻し自身の干支と富士を指して開運を願う水晶玉は新型コロナ感染防止対策として覆われていた。

本殿に向かって右側の狛犬は、子供の狛犬を抱いている珍しいもの。

境内にはゴジラの自動販売機がある。平成28年(2016年)に劇場公開された「シン・ゴジラ」劇中においてゴジラからの破壊を逃れたことから『ゴジラの破壊から難を逃れた厄難消除』の神社とされているそうで、授与所ではゴジラのお守りや絵馬、手ぬぐいなども頒布されていた。

授与所。様々なお守りや絵馬、破魔矢などが頒布されている。御朱印もこちらでいただく。御朱印の頒布時間は午前10時〜午後4時だが、現在は午前10時〜午後3時。書置きの日もある。

帰りは授与所の前を通り抜けた先の坂道を降りました。竹林に提灯が並んでいましたので、夜もまた風情があるのかもしれません。

駐車場のから坂道を利用すれば階段を使わず社殿に行ける。

せっかくでしたので、神社の由緒にあった亀甲山古墳史跡まで足を伸ばしました。
史跡のある多摩川台公園には、これ以外にもたくさん見どころがあるようでしたが、あまりに広い公園なので今回は全体の散策は断念して次の機会に。
あじさい園があるようですので、あじさいの季節にまた訪れて紹介ができればと思っています。

多摩川台公園内「亀甲山古墳史跡」。

さて、帰路につくまえに少し休憩。神社の傍の階段から河原へと降りました。
こちらからは川の水面まで降りることができます。武蔵小杉のタワーマンション群と丸子橋の裏側を背景に、背には古墳。水面に遊ぶ鳥たちを眺めつつぼんやりしていたら、悠久の歴史に包まれている思いがしました。 ゆったりと、歩いたり休憩したりを繰り返し、長い時間をかけて歴史を散策する。こんな散歩もまた良いものなのではないでしょうか。

多摩川浅間神社
大田区田園調布1-55-12

参考資料
「多摩川台公園の古墳群」発行:平成17年10月大田区教育委員会、大田区立郷土博物館 
※情報は2021年3月1日現在のものです。

丸子橋についてはこちらも併せてご覧ください。
先人たちの願いを架けた丸子橋

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