新小杉開発株式会社

新・小杉散歩

2021.05.07

〜もっと知りたい私たちの町〜 武蔵小杉の昔写真展

ららテラス 4 階の「H.I.S.」前にて、「〜もっと知りたい私たちの町〜 武蔵小杉の昔写真展」が5月23日(日)まで開催されています

こちらの写真のほとんどは「中原街道と武蔵小杉」の著者で、小杉地域の歴史研究家である羽田猛先生が撮影されたもの。それに加えて先生が収集された古い資料が数点と現在(2020(令和2)年)の武蔵小杉を空撮したものが展示されています。

展示は「武蔵小杉駅」「東横線と南武線の連絡の道」「小杉十字路周辺」「小杉学舎・小杉御殿町周辺」「等々力周辺」「中原郵便局」「丸子の渡し」「丸子橋周辺」と、地域や施設を切り口に、それぞれに多時代の写真を見ることができます。
興味深い写真の数々はぜひ現地でお楽しみいただきたく、今回ここでは、展示されている中からほんの数点の写真と現在の様子を、説明を少し加えて紹介させていただきます。

・「武蔵小杉駅」「東横線と南武線の連絡の道」
交通の便が良いことがこの街の発展になにより貢献していると先生がいわれるだけあって駅や鉄道に関する写真は、昭和初期から平成に渡り多数撮影されています。 1922(大正11)年8月に工事認可を受けていたにも関わらず、土地買収がなかなかうまくいかず、もたついた南武鉄道と、1924(大正13)年11月8日に工事認可を取った後、すぐに工事に着手し、1926(大正15)年2月までに丸子多摩川-神奈川間を突貫工事で完成させた東横電鉄との対比や、人口増加によって駅の場所が変容していく過程が写真の中に伺えます。

南武線グラウンド前駅(今の武蔵小杉駅)(1933(昭和8)年)右奥に第一生命のグラウンドとバックネット(1929(昭和4)年完成)が見える。手前の白い部分は池。右手は東横線の線路ののり部分(「中原街道と周辺の今昔」デジタルアーカイブ「南武線と東急東横線」より)

南武線と東急東横線の「武蔵小杉駅」(「中原街道と周辺の今昔」デジタルアーカイブ「南武線と東急東横線の「武蔵小杉駅」より)

現在の武蔵小杉駅(2020(令和2)年撮影)

写真展では2020(令和2)年に空撮された武蔵小杉駅周辺を見ることができる。

・「小杉十字路周辺」「小杉学舎・小杉御殿町周辺」
昭和のはじめまで、小杉地域の賑わいの中心だった地域です。最盛期には現在の西明寺の信号から、南武線の武蔵中原の駅方面までの間に約90もの商店が並んでいたといわれています。
なかでも小杉十字路の角には、1913(大正2)年から1932(昭和7)年にかけて、府中街道を通る乗り合い馬車の停留所があったことから特に賑やかだったといわれています。宿場町の名残と思われる宿屋や料理店、「中原劇場」という芝居小屋や鉄鉱泉などの娯楽施設もみられました。

1962(昭和37)年の小杉十字路。(「中原街道と周辺の今昔」デジタルアーカイブ「小杉十字路と乗り合馬車」より)

前の写真とほぼ同じ角度で撮影した、2019(令和元)年の小杉十字路。

小杉学舎は1873(明治6)年、西明寺の参道のほぼ中央の左側に建てられました。それ以前は西明寺に寺子屋があったそうです。

正面が西明寺。右側一帯に「小杉御殿」があった(1974(昭和49)年)(「中原街道と周辺の今昔」デジタルアーカイブ「小杉学舎(小杉学校)」より)。

現在の西明寺参道付近。(2020(令和2)年撮影)

・「等々力周辺」
今では多種多様な運動施設や美術館が建設され、緑地公園としても季節の花々や釣り池なので人々に憩いを与えてくれるこの地域。このあたりは昭和の初めまでは砂利の採掘場でした。その後、多摩川砂利採取禁止(1934(昭和9)年2月13日付)を経て1958(昭和33)年に「川崎市都市計画」で緑地として決定したものの、売買等をはじめとした様々な問題が発生。問題が解決し、川崎市等々力緑地の整備に取りかかれるようになったのは1993(平成5)年というのですから、本当に長い時間をかけて整備された地域です。
また、写真展ではこの地域にかつてあった川崎市中央卸売市場中原分場の姿も見ることができます。

中原小より等々力を見る(テニスコート・プール方向)。(1950(昭和25)年)(「中原街道と周辺の今昔」デジタルアーカイブ「公園施設の造成」より)

・「中原郵便局」
1921(大正10)年、現在川崎小杉郵便局がある場所に中原郵便局は建てられました。郵便局には電信電話施設も併設されていたそうです。
当時、瓦ぶき屋根の家が多かった頃で、中原郵便局の洋風な建物はとても目立ったとのこと。そういわれると、確かにとても可愛らしくモダンに見えます。

トタン屋根で2階にベランダのある中原郵便局(今の川崎小杉郵便局)(1933(昭和8)年)(「中原街道と周辺の今昔」デジタルアーカイブ「中原郵便局と警察署の発祥地」より)

・「丸子の渡し」「丸子橋周辺」
丸子橋開通は1935(昭和10)年。ここでも何度か触れてきましたが、第一回目の出願から完成まで50年もの時間がかかったこの橋は、川崎市民の悲願の結晶ともいえるものです。橋が開通するまでは「丸子の渡し」が東京-中原(平塚市中原)を結ぶ唯一の交通機関で、とても多くの人に利用されていたそうです。

丸子渡船場。満員の渡し船と水遊びのようす(1925(大正14)年)(「中原街道と武蔵小杉」「丸子の渡し」より)

丸子橋渡り初め式(1935(昭和10)年5月11日)(「中原街道と武蔵小杉」「丸子橋」より)

丸子橋近くにかつてあった日本初の常設サーキット「多摩川スピードウェイ」観客席跡(2000(平成12)年)(「中原街道と周辺の今昔」デジタルアーカイブ「丸子橋 ~時代とともに変化してきた河原~」より)

現在の丸子橋(2021(令和3)年撮影)

いかがだったでしょうか。これらの写真の時代を知っている方がまだいらっしゃるのかと思うと、短い期間に地域が遂げてきた大きな変容を感じられるのではないでしょうか。

さらに、このイベントでなにより嬉しかったのは、老若男女たくさんの人たちが足を止めて興味深く見ていかれること。それはそれだけ小杉に興味のある方が多いということでしょう。

小杉を郷土とする人々、また、これから小杉が郷土となる人々が、こうしたイベントで郷土小杉に興味を持ち、郷土を愛し、その郷土愛を共有する。そういったことが街の未来をより良くしていくのではないでしょうか。
羽田先生の功績に改めて感謝と畏敬の念を抱くとともに、小杉の未来への期待がますます膨らむイベントでした。

このイベントで展示されている写真はすべてこちらのHPにも詳しい説明付きで掲載されている他、「武蔵小杉の昔と未来を知ろう」「小杉3丁目の今昔」と題した講義も「小杉の語りべ」に掲載されています。そちらも合わせてご覧いただければより興味深いものになるのではないでしょうか。

また、各所についてはこのブログでも「武蔵小杉駅の今昔」「劇場があった小杉十字路」 「多摩川と丸子の渡し」「先人たちの願いを架けた丸子橋」 「多摩川スピードウェイ跡を訪ねて」などの記事で紹介させていただいています。

ぜひそちらもご覧いただければと思います。

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