新小杉開発株式会社

新・小杉散歩

2025.12.22

「神地銀座」の名残を探す中原街道散策

二ヶ領用水に架かる神地橋から、武蔵中原駅へと続く中原街道。現在は車通りが中心ですが、この区画がかつて「神地銀座」と呼ばれるほどのにぎわいを見せていたことをご存じでしょうか。

中原区の歴史を研究する郷土史研究家・羽田猛氏の著書『中原街道と武蔵小杉』によれば、この一帯は、年の瀬には歳の市が立ち、夏は寺の門前に屋台が並び、町役場も置かれるなど、大いににぎわっていたといいます。今回は、神地橋から武蔵中原駅まで、『中原街道と武蔵小杉』の内容をもとに、上小田中エリアの歴史の面影をたどります。

神地橋と二ヶ領用水

小杉と上小田中(神地)の境を流れる二ヶ領用水、その上に架かるのが神地橋です。
現在の橋は、平成に入ってから道路拡張工事にあわせて架け替えられたものですが、昭和10(1935)年の中原街道改修工事までは木橋でした。

『中原街道と武蔵小杉』によると、当時の二ヶ領用水は水量も多く、川幅も広かったといいます。昭和初期までは水道が整備されておらず、様々な用途で利用されていました。
子どもたちは橋の欄干を飛び込み台にして泳ぎ、用水は遊び場であり、生活の一部でもあったようです。
現在は穏やかに流れるこの用水も、かつては人々の暮らしを支える重要な存在でした。

昭和40年の神地橋(『中原街道と武蔵小杉』神地橋と二ヶ領用水より)

昭和7年撮影。神地橋からみた二ヶ領用水。(『中原街道と武蔵小杉』神地橋と二ヶ領用水より)

門前市でにぎわった泉沢寺

神地橋を渡り、少し歩くと右手に泉沢寺が見えてきます。
泉沢寺は、かつて「冬の世田谷ボロ市、夏の泉沢寺門前市」と並び称されるほど、門前市でにぎわっていたようです。
泉澤寺

門前市が最盛期を迎えていた頃、本堂から山門の内外には、氷屋、おでん屋、お菓子屋、おもちゃ屋など30軒ほどの店が軒を連ねていたといいます。
明治末頃には、境内周辺の竹やぶが切り開かれ、見せ物小屋が2〜3か所設けられ、多くの人であふれていたそうです。
現在は静かな佇まいを見せる泉沢寺ですが、その境内に立つと、かつてのにぎわいの気配が、かすかに感じられるようです。

その昔、中原町役場があった場所

泉沢寺を過ぎ、現在はマンションと店舗が並ぶ一角。
石留石材店の隣(現在はマンション)には、かつて中原町役場がありました。

明治22(1889)年、市町村制の施行により、上丸子・小杉・宮内・上小田中・下小田中・新城の6か村が合併し、中原村が誕生。村の中央に役場を置こうという話し合いの末、この地に平屋瓦屋根の中原村役場が建てられました。

その後、関東大震災で建物は倒壊します。
大正14(1925)年に中原村と住吉村が合併し中原町となると、同じ場所に木造2階建ての町役場が新築されますが、こちらも昭和20年の空襲で焼失してしまいます。

大正14年に建てられた中原町役場。(『中原街道と武蔵小杉』中原村(町)の役場より)

役場の跡地には、戦後、中原公益質屋や児童公園が設けられ、昭和後期以降はマンションへと姿を変えていきました。
街の中に埋もれたこの場所は、かつて行政の中心でもあったのです。

井田堀の地蔵尊と庚申塔

中原街道沿いには、いくつかの庚申塔が点在していますが、神地橋から武蔵中原駅までの区間には、3つの庚申塔と、ひとつの地蔵尊が祀られています。
かつて藤田屋酒店があった場所(現在はコインランドリー)の脇に立つのが、この地蔵尊です。そばには井田堀と呼ばれる支流が流れており、下小田中や井田方面の田畑を潤す、大切な用水として使われてきました。

この地蔵尊が建てられた理由については、いくつかの言い伝えが残されています。用水の川底から見つかったため守り神として祀られた、行き倒れの人を弔うためだった、子どもの水難事故を防ぐ願いが込められていた—など、人々の思いが重なってきました。
時代を越えて、この地蔵尊は地域の暮らしを静かに見守り続けています。

木月堀と街道の風景

歩道を歩きながら足元に目をやると、かつての木月堀や周辺の産業を描いたパネル絵がはめ込まれていました。
二ヶ領用水から分かれ、地域の農業や商いを支えた水路の存在が、絵を通して伝えられています。
現在の整然とした街並みの下には、水とともに生きてきた時間が積み重なっていることを実感します。



神地の歳の市と福引き

神地橋から武蔵中原駅に近づくにつれ、かつて年末に開かれていた「神地の歳の市」の中心地へと差しかかります。
この一帯では、露店が並び、福引きが行われ、年の瀬の買い物客で大いににぎわいました。
現在の静かな街並みからは想像しにくいものの、年末の高揚感と人の流れが、この通りを満たしていた時代が確かにあったといえます。

昭和28年の歳末福引大売り出しのチラシ。(『中原街道と武蔵小杉』神地の歳の市と福引きより)

かつて神地銀座と呼ばれたこの通りは、現在の武蔵小杉のように、たくさんの人通りや商業施設が並ぶ規模ではりません。
しかし、橋や寺、石碑や地蔵尊といった小さな手がかりをたどることで、街が歩んできた時間と人のにぎわいが浮かび上がってきます。
何気なく通り過ぎていた中原街道の一角も、少し足を止めて歩いてみると、武蔵小杉とはまた違った表情を見せてくれるかもしれません。

※こちらの記事の情報は『中原街道と武蔵小杉』に基づいています。詳しくは下記のページをご確認ください。
神地橋と二ヶ領用水
泉沢寺と門前市
中原村(町)の役場
神地の歳の市と福引き
庚申搭と大師道

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